熊野について

熊野に向かったのは今年の7月の頭である。かねてより熊野古道を歩きたいと考えており、あまり暑くなく、梅雨の時期を避けようとした結果この時期になった。

実際歩いた区間伊勢路の二木島〜新鹿の二木島峠、逢神峠であるが、新鹿に宿をとったことから熊野三山から伊勢に向けて歩く形となった。まあ、歩く向きは兎も角、この2つの峠を歩いた。また、新鹿より車にて一気に南下、花の窟を経由し熊野速玉大社、熊野那智大社を詣でた。

逢神峠は伊勢と熊野の神が出会う場所という説があり、また二木島は神武天皇が上陸した場所と伝えられている。歩いた日はしとしとと雨が降っており、山全体が雲に包まれていた。人によってはあるいは霊の世界であると感じたかもしれない。

自分の興味はどちらかと言うと八咫烏に向いていた。神武天皇を熊野国から大和国へと案内した烏として有名であるが、この烏一筋縄でいかないように思う。いや、烏がそもそもあほー、あほーと人をくったような連中なので、八咫烏に限ったことではないかもしれないが。一先ず、この烏にはいろいろな側面があり、いつかまとめなければならないと考えている。本当はこの「熊野について」で書くつもりをしていたが急に気分が乗らなくなったので、また機会を変えて書く。

最後に山折哲雄の熊野についての文章を引用しておこう。

「古く『日本書紀』にあるように、イザナミノミコトは死んで熊野の有馬村に葬られている。やがて熊野を象徴する烏は、使者の霊の去来と結び付けられた不吉な鳥とされ、亡者の霊は枕飯の炊かれるあいだに熊野に参ってくるという民俗を生んだ」「やがて、その熊野が変貌しはじめる。死霊の籠る「隠国」が再生を約束する霊場へと姿を変えていったからだ」