井上勝について

前回からの続きを書く。

井上勝の鉄道構想とはどのようなものであったのだろうかということについて少し考えたい。

井上勝は鉄道施設において狭軌鉄道の熱心な支持者であり、この理由を鉄道体系の早期実現をめざしており、施設費用の少ない狭軌鉄道を採用し、できる限り路線延長をはかるべきであると主張していたからだとされている。

しかし、工業化とともに狭軌鉄道が批判されるとこれに対して井上勝は「日本帝国鉄道創業談」にて「先年鉄道広軌説が非常に流行した時は、狭軌にしたことを批難する声が頗る高かった。しかしこれは必要の時機が到来すれば改造すればいいことだ」と、アメリカの例も挙げながら述べている。さらに最後には「尚一歩進んでさらにその必要に迫られ、広軌改造を実行する時代に巡りあえるのを、切望するものである」と述べている。井上にとって狭軌広軌かということが重要ではなく、やはり鉄道拡張という問題意識が第一にあったのではないか。

また私鉄について、井上勝は従来は私鉄否定論者と見做されていた。中西健一は井上勝を「「しばしば機会をとらえては私鉄排撃論を開陳している」と評価している」としているし、原田勝正も井上を「「私設鉄道否認論」ないし「私設鉄道不信論」を展開していた鉄道官設官営主義者であったとしている」としている。しかし、近年この見方は修正が必要であるという議論がある。というのもそもそも井上は日本鉄道会社が設立されたさいに大いに歓迎している。この理由は「測量しながらも政府の財政的理由からなかなか着工できないでいた東京―高崎間の鉄道を建設しようとしていたから」だ。ここでも井上は「鉄道体系の早期実現」を目指しているとみえる。井上は単純に私鉄を否定するのではなく、私営であろうと官営であろうとその効果が疑わしいときには批判しているのではないだろうか。井上が行った私鉄の重要な批判は「日本帝国鉄道創業談」の中の「多数の会社が分立するため、この中には玉石混合で稗糠と目する会社線路も少なくない。又、区々分立して統一を欠き鉄道の効果が不完全なのもあり、在職中に鉄道国有論を提唱したこともあったが、当時は受け入れられなかった」というものであろう。しかし、ここで井上が私鉄を批判しているのは「鉄道の効果が不完全」になるからである。これは「鉄道業がいわゆる「規模の経済」に適合的であることを繰り返し主張していた」ことからだと考えられる。井上は鉄道を拡張していくことを第一目的としており、狭軌広軌かにこだわりがないように、やはり私営か官営かというこだわりが強いわけではないように思われる。なによりも井上が当時内閣総理大臣を務めていた伊藤博文に宛てて1891年に提出した「鉄道政略ニ関スル議」に「鉄道ヲシテ可及的全国枢要ノ地ニ普及セシメ首尾環連幹支接続シ其利用ヲ完全ナラシムル」ことを目的と書いている。井上は何よりも全国の鉄道を拡張し、結ぶことを重要視していたのではないだろうか。

鉄道拡張にエネルギーを注いだ彼であるが、前回にも述べたように相当周囲と折り合いが悪かったようだ。大隈の井上勝評は以下のように続く。

「その山尾は、勝は俺には使えぬ、とこぼしていた。誰か代わりができるかというと、他に代わりはいない。いなければ仕方がない、勝を使うしかない。井上馨も衝突し、山県有朋も野蛮な奴だと食ってかかられた。それなら勝を追い出してしまえ、と言ったって代わりがいるはずがない。そうしているうちに勝が、鉄道を造ってしまった。そんな中、木戸孝允(生前)だけは勝を敬服していた」